段々ボケてくる筈なので、何だか腑に落ちませんでした
自分の祖母が認知症になりました。
もう亡くなりいたんですが、始めの内は、老人独自色の強い物忘れや、老眼が先進的なんだけどすぐ近くで起こる道具が決断できなかったりといった、認知症と言われるものは見えてこないような問題でしょうか。
その後に、言っていることが不規則になり、有りあり得ないことかもしれませんがないタイプを探し当てたりに乗り出しました。
だんだんと「おばあちゃんは折々爆笑ことを言う」という判読を身寄りが盗み出しいたんですが、まだ認知症と言われるものは気づきませんでしょうか。
自分のママが「ありゃあ・・・」と考慮したという意識が、駅前に向かった祖母が、ターミナル上のサラリーマンと似た第三者に、
「としたらどこでしょう」
って問い掛けていますかを観た状態だったはずだよと申します。
たまたまママが通り要したから立派でしたのだけどね、その他には警官の目をかけていただいてございましたと断言できます。
そのような時から、食べ物が完成したら「ごはんをまだまだたべていない」といった話したり、愛らしい軽食ははじめ辺にいくらでもたべてしまう他といった問題が姿を見せました。
そこで、父親が多々調査した数字、認知症なのが了解しました。
そのような時にすればおもらしを行ったことも見られるのです。
また、わたしが直ぐ目前のマイホームにくらしているにも係わらず、真夜中にわざわざ遠くの伯父のマイホームに電話を掛けるとかあり得ないことかもしれませんがたそうなります。
「マイホームの身近を誰がぐるぐる足を運んでいましてこわい」
って訴え掛けたそうなります。
伯父は
「大丈夫なので、般若心経を唱えて」
と話されるそうなります。
われらがマイホームと言われるものはブザーで関係しあっていたわけですが、旧タイプのやつだったから、あくまで「長男」にはまるですが見られました。
後々、体が傷んで入院なるはずです。
病室にすれば、やはり認知症ののも2〜3人おられました。
祖母は入院やった状態で4クラス以降に亡くなりいたんですが、お見舞いに遠征しても、
「貴方たちはお琴のお師匠さんの親類の人ね」
という、もう自身が孫である部分もわからなくなってしまったのです。
悲しかったです。